十六羅漢の一人 周利槃陀迦

周利槃陀迦
聞いたことある方も多いのでは
修利槃特・周利槃特・須梨槃特と色んな書かれ方がありますが、どれも同じ人物です。


ここでは、修利槃特と書かせていただこうと思います


修利槃特尊者
お釈迦様のお弟子の中で十六羅漢の一人。
「法句譬喩経巻第二」・「根本説一切有部毘奈耶巻第三十一」などに詳しく説かれている。
修利槃特はお弟子さんの中でも義持第一と言われていた。


修利槃特は二人兄弟の弟、兄は摩訶槃特といい大変優れた頭脳の持ち主でしたが、弟の修利槃特は頭が悪く自分の名前も覚えることが出来ず、自分の名前の書いた板を首からかけていたそうです。

世間の人々は修利槃特を「馬鹿の修利槃特」、「馬鹿の槃特」と呼ぶようになりました。


両親が亡くなってからも、この兄弟は大変仲が良くいつも一緒にいました。
後に兄弟はお釈迦様の弟子になりました。



兄の摩訶槃特は、あらゆる煩悩を断ち切って阿羅漢の位に、しかし弟の修利槃特は簡単にはまいりません、摩訶槃特は修利槃特に「守口摂意莫犯 如是行者得度世(身体と口と心に悪行を造ってはいけない。正しい思いをもって、そして、無益な苦しみから離れなさい)」これを一生懸命暗誦するように勧めました。一生懸命覚えようとしましたが、結局三年たっても覚えることができませんでした。


兄の摩訶槃特は弟は普通の方法では暗誦することも、仏道修行することもできないと知って、心を鬼にして「バカ、大ばか者。お前は世界一の大ばか者だ、お前が僧侶になって一体どうなるんだ。無駄だから今すぐここから出ていけ」と言い渡しました


追い出された外で修利槃特は大声で泣きました。その時お釈迦様がそこをお通りになり泣いている理由を聞かれました。
修利槃特は「私は、生まれついての大ばか者で、今まで一偈も暗誦することができません。そして今、ついにお兄さんにまで見放されて泣いているのでありました。」



お釈迦様はそれをお聞きになっても怒ることもなく、忘れることにたいして「頼もしい」とお褒めになりました。

「人は大事なことは忘れるくせに、ことはつならないこ覚えすぎております。場合によっては忘れることも大事なのであります」
「愚人、みずから愚と説かば、これを名付けて智者となす。愚人みだりに智と言えばこれを名付けて愚痴となす」即ち、愚かな人が、自分は愚かだと言ったならばこれを「智者」というのであり、愚かな人が、「自分は智慧のある智者だ」と言ったならば、これが本当の愚人であるととかれたのであります。



修利槃特は生まれて初めて「智者」と言われました。それも仏様に・・・
お釈迦様は修利槃特に、
「われ塵を払い、われ垢を除かん」との二句を授けられましたが、修利槃特はわずか二句も覚えられません。これを見てお釈迦様は、修利槃特の過去の罪障が深いことを知られ、この罪障消滅のために一つの行を授けられました。それは、全ての僧侶の履物を拭き清めること。そして泥を落としながら、口に「われ塵を払い われ垢を除かん」と唱えさせました。



毎日毎日たくさんの僧侶の履物の汚れを落とすということはとても大変なことであります。でも、素直な修利槃特は少しも嫌がることなく修行に励み、口に、「われ塵を払い われ垢を除かん」と唱えました。
一日一日修利槃特の過去の罪障が少しずつ消滅していきある日ついに悟りを開くに至ったのです。



修利槃特が口にしていた塵、垢というのは、人間の心の中の塵や垢で、その塵と垢とは貪嗔痴(とんじんち)の三毒である。

貪とはむさぼりの心、けちな心、欲望の心。嗔とはいかりの心、痴とは愚かな自分本位の心である。
この三つの塵、垢を払い落すことが大事なことなんだと悟ったのです。


槃特尊者は、お釈迦様のもとにいきそのことを報告しました。

お釈迦様は大いに喜ばれ、修利槃特に阿羅漢の位を許されたのです。


後にお釈迦様は「法華経」を説かれ、槃特尊者は、この「法華経」を全く疑うことなく信じたのであります。「法華経」を素直に信ずる大功徳により、お釈迦様より「普明如来」記べつ(お釈迦様が弟子の未来の成仏を約束されること)をうけられたのです。



槃特尊者のお墓に見たこともない草が生えました。
この草を食べると物忘れをすると言われました。人々は槃特尊者が草となって現れた。
槃特尊者は若い時自分の名前を荷っておられたということで、この草に草冠名を荷うと)書いて、「茗荷(みょうが)」と名付けた。この「茗荷」は仏様の)功徳という意味の「冥加(茗荷)」にも通じるのです。



槃特尊者のような純粋な心で生きていきたいです。


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