十界の命

私が小さいとき、よく母親に近所のおばちゃんにあったらちゃんと挨拶しなさいよ。といつも言われていた。
「おはようございます」、「こんにちわ」、「こんばんわ」

「ありがとう」、「ごめんなさい」この5つの言葉は、私たちが家庭や社会で生きていくための基本的な礼儀だと思うのは、私だけでしょうか。

最近は、「知らない人に声をかけられても返事をしちゃいけない」、また「人をみたら泥棒と思え」ということわざそのままに人を信用できない世の中になってきている。

人の中には、人のために一生懸命励む人もいれば、人に危害を加えるひと、自分の欲のために人を騙し陥れようとする人もいる。
同じ人間なのになんでなんだろう?


「十界の命」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?
恥ずかしながら、私は日蓮正宗に入って初めて聞いた、


人は誰でも、地獄界から仏界にいたるまでの十界(十種の境界)を具えていると、教えてくれました

十界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十種類境界のこと


日蓮大聖人様は、「人の顔を見ていると、喜んだり、怒ったり、平穏であったり、貪ったり、愚かさを現したり、本心を偽って人に媚びへつらったりしている。怒るのは地獄界、貪るのは餓鬼界、愚かなのは蓄生界、本心を偽るのは修羅界、喜ぶのは天界、平穏なのは人界、このように他人の姿・形を見れば、六道(地獄界~天界)が具わっていることが判る。四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)は心の奥底にかくれていて現れないが、必ず具わっているのである」と仰せられ、どんなひとでも命に中には地獄~仏界にいたる全ての十界具わっていると教えられている。


私は、日蓮正宗に縁する前は色々な宗教を転々としてきた、確かに良い事もあったし、すごいなぁと思える体験もあった、何にも変わらないところもあった。

でも、そんな体験も長くは続かなく、結局もとの自分どころか、もっと悪くなってしまった事もあった

私は、自分もそうだけど、子供や孫、自分の子孫が幸せに暮らせるように、また、自殺が多い家系で、家族の縁が薄い家系だからそこも変えたかった。毎日無理をせず、ご住職、御尊師のご指導のもと、手を合わせてきました。前にも書いたけど、お金持ちになったわけでもないし暮らしは変わらない

でも、心が一番変化した。十界の命が動いたのかな仏界はかんじたことがないけど、六道は毎日かも

日蓮正宗の教えは人として大事な大切なことを教えてくれる
色んなうわさがあったり書かれたりしているが、自分の目で見てみないとわからない、噂の‘う‘の字もなっかたので、ちょっとびっくりしました。

今は心が少しでも仏界に近づけるようになりたい



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