鬼子母神

今回は鬼子母神のお話
鬼子母神は人間ではなく、夜叉(鬼神)です。仏法に出会う前は悪鬼でした、でも、仏法に出会い仏法僧の三宝に帰依してからは善鬼です。



昔、鬼子母神は夜な夜な人間の子供をさらっては食べると言う悪い鬼でした。
夜叉というのは、元来、顔が醜悪ですが、人間を守ってくれるものです。


でも、この鬼子母神は逆でした、顔は美しく誰が見ても喜びたくなるようなお顔でしたので、「歓喜」と言う名前をつけられました。


歓喜は美しい顔とは裏腹に心の中は鬼」そのものでした


歓喜が結婚をして、五百人、あるいは一万人という子供を出産しました、歓喜は自分の子供はとても可愛がりますが、夜な夜な人間の子供を捕まえて食べるという恐ろしいこといを繰り返していたので、
人間たちはとても暗い思いをしました。


「犯人はあの歓喜だ、あいつは美しい顔をしてるが、心の中は鬼だ」
歓喜は「鬼子母」と言うあだ名がつけられました。



人間の力ではどうしても鬼子母から子供たちを守ることができないので、釈尊に助けを頂くようお願いをいたしました。


釈尊は、鬼子母が留守の時に鬼子母の一番末の子供を連れて帰りました。


鬼子母が帰ってくると子供が一人足りません

鬼子母は気が狂ったように、世界中を回り子供を探しましたが見つかりませんでした


鬼子母は夜叉の長である毘沙門天に尋ねたところ

「釈尊のところに行きなさい、釈尊ならなんでもご存じである」と

鬼子母は釈尊のもとに行き我が子のことを尋ねたところ、釈尊は冷たく
「お前には五百人も子供がいるではないか、たった一人くらい居なくなっても何の悩み悲しむことがあるのか」と言われました。



鬼子母は「これは大慈大悲の仏様のお言葉とは思えません、母親というものは、子供が十人いようが百人いようが、千人、万人いようが、全て可愛いものであります。一人でもいなくなっては私は本当に気が狂ってしまいます。どうか私を助けてください」


釈尊はその言葉を聞いてますます厳しい顔をされて
「お前はそのことが分かっていながら、なぜ人間の子供を食うのか。人間には子供が一人、あるいは二人、多くても十数人である。その子供を亡くした母親の気持ちをよく考えなさい。」



鬼子母は釈尊に厳しく叱られ今までの悪行を深く反省をし仏法に帰依し、そしてすべての子供を守護することを誓ったのです。また、鬼子母は子供の代わりにザクロを食するようになりました。

その後法華経の御説法を聞いたあとは、法華経を信じる人を守護することをお誓いになられました。


私のおうちの御本尊様の中に鬼が一人います。鬼子母神です。でも、よく見ると、「鬼」の字の角がない一画目がついていないのです。

心に生えていた角がとれ、諸天善神の一人鬼子母神となられ、今でも法華経を信仰する人を守護してくださっている。


鬼子母神とはどこにいるのか、私たちの心の中におります
「自分さえ良ければ、他人はどうでもいい」、「自分の家族は大事だけど、よその家族はどうでもいい」
そんな利己主義な人の心は鬼の角がある鬼子母です。


「自分も他人も、ともに大事である、皆仏法の功徳で幸せになりますように」という慈悲の心を持つ人の心は角の無い鬼子母神です。


私は、角がすぐ生えます。なので心に角が生えないように毎日御本尊様に手を合わせ、お題目を唱え慈悲の心を忘れてないように・・・・

それでも、やっぱり角がでます。凡夫の悲しいところです。

少しでも角がでたことに気がつけて、なくすことができるように、心がけています。全ての人の心から角が無くなったら
出てきても、気がついてなくせたら、悲しい事件や出来事は少しは減るのかなって思います。




角の無い鬼子母神を思って南無妙法蓮華経と心の中で呟いてみて、きっと角が少しは引っ込んでくれるよ。それでもダメでどうしても苦しくなったら、日蓮正宗に行ってみて私もそうだったから
絶対かわれるから。偽物日蓮正宗もあるから気をつけてね。





十界の命

私が小さいとき、よく母親に近所のおばちゃんにあったらちゃんと挨拶しなさいよ。といつも言われていた。
「おはようございます」、「こんにちわ」、「こんばんわ」

「ありがとう」、「ごめんなさい」この5つの言葉は、私たちが家庭や社会で生きていくための基本的な礼儀だと思うのは、私だけでしょうか。

最近は、「知らない人に声をかけられても返事をしちゃいけない」、また「人をみたら泥棒と思え」ということわざそのままに人を信用できない世の中になってきている。

人の中には、人のために一生懸命励む人もいれば、人に危害を加えるひと、自分の欲のために人を騙し陥れようとする人もいる。
同じ人間なのになんでなんだろう?


「十界の命」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?
恥ずかしながら、私は日蓮正宗に入って初めて聞いた、


人は誰でも、地獄界から仏界にいたるまでの十界(十種の境界)を具えていると、教えてくれました

十界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十種類境界のこと


日蓮大聖人様は、「人の顔を見ていると、喜んだり、怒ったり、平穏であったり、貪ったり、愚かさを現したり、本心を偽って人に媚びへつらったりしている。怒るのは地獄界、貪るのは餓鬼界、愚かなのは蓄生界、本心を偽るのは修羅界、喜ぶのは天界、平穏なのは人界、このように他人の姿・形を見れば、六道(地獄界~天界)が具わっていることが判る。四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)は心の奥底にかくれていて現れないが、必ず具わっているのである」と仰せられ、どんなひとでも命に中には地獄~仏界にいたる全ての十界具わっていると教えられている。


私は、日蓮正宗に縁する前は色々な宗教を転々としてきた、確かに良い事もあったし、すごいなぁと思える体験もあった、何にも変わらないところもあった。

でも、そんな体験も長くは続かなく、結局もとの自分どころか、もっと悪くなってしまった事もあった

私は、自分もそうだけど、子供や孫、自分の子孫が幸せに暮らせるように、また、自殺が多い家系で、家族の縁が薄い家系だからそこも変えたかった。毎日無理をせず、ご住職、御尊師のご指導のもと、手を合わせてきました。前にも書いたけど、お金持ちになったわけでもないし暮らしは変わらない

でも、心が一番変化した。十界の命が動いたのかな仏界はかんじたことがないけど、六道は毎日かも

日蓮正宗の教えは人として大事な大切なことを教えてくれる
色んなうわさがあったり書かれたりしているが、自分の目で見てみないとわからない、噂の‘う‘の字もなっかたので、ちょっとびっくりしました。

今は心が少しでも仏界に近づけるようになりたい



苦しみの原因って何?

前回、四苦八苦のお話を、書かせてもらいましたが、私たちは生老病死の死苦の他に色々な苦労や悩みが次々と襲ってきます。小さなことから、寝れないくらいの大きなことまで、この、限りない苦悩は一体どこから生まれてくるのか、そんなことが、わかったら人生から不幸や苦しみを、取り除くことができるよね。

仏教では、苦しみは悪業によって生じ、悪業は煩悩から生じる説かれている。

煩悩…梵語でクレーシャ「心を汚すもの」「苦しめるもの」と訳されてる


‘‘煩悩とは人間の心身を悩乱させて、成仏の正道を妨げる作用のこと‘‘


じゃー煩悩をなくしたら悩むこともなくなるなんて考えたけど、生きてる以上煩悩をなくするということは無理、なんで無理なの?

生きてる人間だから


じゃーどうしたらいいの?無くせないものなら、どうしようもない
日蓮正宗では、煩悩を離れるのではなく、そのまま菩提に転換させていくということを、教えてくれた。
日蓮大聖人様は「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて」と仰せられている。



たしかに、この話を聞いて、毎日信じて「南無妙法蓮華経」と唱題していたら
日蓮正宗に縁する前の私と今の私とでは、心が変わってきている。私は一時間くらいしか唱題していないが、それでも心が違う。


色んな宗教を経験してきたが、心が変わったのはここが初めてだった。